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keisy12455’s blog

農業で独立を目指すアラサーのブログ

赤城神社~意外と知らない群馬県~

赤城神社に初めて参拝してきましたぁーー!!

 

マイナスイオンにあふれて、敷地がコンパクトで、ロマンあふれるいいところでした!

 

と言っても、大沼ではなくて、三夜沢の赤城神社ですが。。。

 〒371-0247 群馬県前橋市三夜沢町114

 

 

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見てください!この鳥居!

 

趣きありますね!

 

そしてこの、手水舎

 

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んまぁ神秘的!

 

 

でね、祭られている神様を見ると、

豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)

大己貴命(オオナムチノミコト)

とのこと。

 

えーとですね、、、

 

 

。。

 

。。。

 

豊城入彦命は、10代天皇の長男だそうで、大己貴命出雲大社の祭神で有名な大国主神デスネ。(棒読み)

 

10代の天皇ってことは、弥生時代にここまで来て、統治してたということですよね。

 

 

なんで?

 

10代天皇が後継ぎの際に、長男と次男に夢占いをさせたところ、長男の豊城入彦命は東を向いて剣をふるい、弟は四方を向いて剣をふるったため、豊城入彦命が東の統治に向かい、弟が都を守ったとのこと。

 

当時、この辺はまだ蝦夷として、毛野国(ケヌノクニ)、毛人(ケニン、エミシ)と呼ばれていたとのこと。

 

その統治は栃木県の佐野市あたりまでだそうです。

 

 ここから、群馬が上毛野(カミツケヌ)、栃木を下毛野(シモツケヌ)、2つ合わせて両毛と呼ばれるゆえんですね。

 

 

 

豊城入彦命は理解したけど、なんで出雲を支配してた大国主も祭られているのか?

 

 

ここからは諸説あるけど、俺の推測。

 

大国主は初めの渡来人で、毛人も渡来人。

 

だから、毛人は出雲系統の信仰をしていた。

 

そこで、豊城入彦命は武力で制圧するより、毛人の信仰心を失わせずに、信仰対象を付け加えたことで、比較的平和に統治しようとしたのではないか。

 

その考えに反対していた一族との争いが、佐野市あたりで行われていた。

 

古代の人たちは人心掌握までしっかりできたから、現代人より賢いかもしれないな。

 

 

とまぁ、こんな妄想をしてワクワクしています。

 

 

 

詳しい方、ぜひコメントお願いします!

 

 

ではまた。

参照:両毛の神話 松原日治